昨晩、以前の同僚が久しぶりに来たので、もう一人の以前の同僚と三人で飲んできました。
お二人は、子ども達が成人、もしくはもうすぐ社会人、くらいになっているのもあり、「自分たちが生きてきたことになんの意味があるんだろう?」などと言い出しました。
そこで私が話したのは、
「大谷翔平やダルビッシュだけじゃ野球はできないんですよ。他の選手やスタッフ、観客もいて野球が成り立ちます。それに、県予選の一回戦で負けるチームの補欠選手までいるからこそ、県予選の上位進出校、甲子園出場校、その中からプロに行く選手で、そういう野球というものが成立していきます。
世界に数人しかいないような、天才的脳外科医に風邪の患者を診せてはいけないんですよ。天才脳外科医が脳外科の手術に専念できるためにも、普通の風邪を診る医者が必要ですし、その医者が診察に専念するためにも、他の病院スタッフが必要で、そのためにも、コンビニの従業員も重要な役割を果たしていると言えるんですよ」
”アインシュタインにタイピングをさせるな”は ”Deus ex machinaな日々”を読んで知った話ですが、数値化によって具体的に説明されているものとしては”トレードオフと集中”を見つけました。もちろん、大谷翔平も「野球以外に費やす無駄な時間はない」と言いつつも、リラックスする時間として、女性と愛を育んで結婚し、また愛犬との時間も楽しんでいます。
また、この話は”身の程をわきまえろ”ということではありません。より上の状況を目指して努力することは大事ですし、意欲の向上にもつながります。それは全体に対する生産性の向上にもつながります。
一方で、ヨハン=セバスチャン=バッハやモーツァルトすら一時期忘れられ掛けたこともありました。バッハは、次男の CPE バッハの方が当時は大人気で、その次男が自分の成功を「父の指導があったからこそ」と言い続けたので、JS バッハがどうにか思い出され、後の神格化につながりました。
自分がバッハやモーツアルトほどの才能に恵まれたか?いや、そんなことはないなぁ。大谷翔平のように、野球の練習のために飲み会を断ったか?いや、そんなことはしてないなぁ。
それでも、それぞれの人々の人生にはそれぞれの価値があり、自分が自分らしく自分の人生を楽しめているのならそれでいいのではないか、自分によって周囲の人が少しでも楽しく過ごせるなら、自分の存在にもそれなりの意味があるのではないか、そう考えたいものですね。
その飲み会で、言葉が尽くせたわけではありませんでしたが、なんとなく言いたいことは感じ取ってもらえた気がしました。
ということで、3x3x3 でいまだに平均で 30秒が切れない私も、トリコンに参加していることは無意味ではないと信じています。まぁ、もうちょっと練習したいですね。